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2021/05/19 12:00

少し前に面白い話を聴きました。

驚くことに、いま自分たちが使っている「自然」という言葉は、明治時代に入るまでは無く、外来語の「Nature(ネイチャー)」を示す日本語が存在しなかったために「自然」という言葉ができたそうです。

それまでの日本人は人が造った「人工物」と対立する視線や見方での「自然」という概念は無く、自分も自然だから、あえて自然と自分を区別しなかったらしいです。 

この事は、西洋的な考え方の「人間を中心として物事を考えること」「唯一の神が存在すること」に対して、日本的な考え方は「すべて同格」「八百万(やおろず)の神」という感覚を持っていて、人も動植物も、水や空氣、大地、太陽、月星など、すべては一部であり呼び方が違うだけということを表しています。

つまり「人や人が造ったものと、それ以外のもの」なのか「すべては宇宙の一部」なのかの違いです。

しかし日本人は外来語の「Nature」の輸入訳語としての「自然」も、決して西洋そのままではなく、

「森羅万象(しんらばんしょう)」という宇宙に存在する数限りない一切の物事や現象の意味を含めて「自然」としてきたのです。

「天地」であろうと、「万物」であろうとみな同じという感覚をあらためて見つめ直しました。